2021年に日本人初のマスターズ優勝を成し遂げた、プロゴルファーの松山英樹選手。
2013年に国内ツアーで4勝をあげ、新人として初めての賞金王に輝いて以降、大躍進が続く松山選手ですが、彼がどのような幼少期を過ごしていたかご存じでしょうか。
- 彼はどのような幼少期を過ごしたのか?習い事は?
- メジャーリーグで大活躍できた要因はなにか?
- 親はどのように子育てしたのか?
これらについて、松山英樹の幼少期について言及された書籍の内容を紹介しつつ、紐解いていきます。
※比較として競技や国籍を問わず、アスリートの伝記などの書籍を20冊以上読んだうえで、
大学で幼児の運動能力の調査・研究していた筆者が詳しく解説します。(筆者のプロフィールはこちら)
ぜひ最後までご覧いただき、ご自身のお子さんの子育ての参考にしてください!!
↓↓20人以上のアスリートの幼少期の共通点をまとめた記事はこちら↓↓
松山英樹選手の幼少期の特徴
早速ですが、20人以上のアスリートとの比較も含めて、筆者が紹介したい松山英樹選手の幼少期の特徴はこちらの7つです。
- 父親はサラリーマンゴルファーだが、腕は一流だった
- 父と行った打ちっぱなしが楽しくてハマった
- 初ラウンドでのまぐれショットが原体験
- マネをするのが得意だった
- 親の献身的な環境整備があった
- 世界を知る経験をしていた
ではさっそく、一つ一つ見ていきましょう!!!
松山英樹選手の幼少期①【父親はサラリーマンゴルファー。腕は一流だった】
クラブを与えてくれた父は年齢が30歳に差しかかろうかという時にゴルフを始めた。学生時代にプロゴルファーを目指したわけではなく、当時、腰を痛めていたことから体づくりをするためにクラブを握ったのだという。 いわゆるサラリーマンゴルファーとはいえ、遊びではなく真剣に上達を目指すのが父だ。練習場でほかの人のスイングを見ては、独学で体の使い方を研究し、3年ほどでアンダーパーをマーク。お金も時間もかかったので一度はやめていたそうだが、幼い僕がゴルフにのめり込むようになった頃に再開させたという。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
親が行っているスポーツに興味を持ち、自分もやりたいと思うトップアスリートはとても多いです。
松山選手の父親は、30歳頃からゴルフを始めたにもかかわらず、独学で、しかもわずか3年でアンダーパーとのこと。
驚くべき上達の早さですね。
単に身体能力が高いだけでは、独学3年でアンダーパーはかなり厳しいです。
おそらく、タレントの武井壮さんがよく言う、自分のカラダを思った通りに正確に動かす運動能力を身につけていたのでしょう。
そのような能力が、遺伝や父の教えによって、松山選手にも受け継がれているのかもしれません。
松山英樹選手の幼少期②【父と行った打ちっぱなしが楽しくてハマった】
初めてゴルフクラブを握ったのは一歳半の時だったらしい。ホームビデオには原っぱで背丈よりも長い大人用のモデルを持った姿が残されているが、さすがに憶えていない。
淡い記憶として残っているのは、やはり街中の練習場の打席でのこと。家族の話ではある日、僕はそこで父と競い合うように1300球以上のボールを打ったそうだ。プロゴルファーになった今でさえ、500球も打ち込む日などそう滅多にない。 おそらくこのころは。一球打つたびに人工芝のマットに白いボールが自動で次々とティーアップされる様がおかしくて、クラブを振るのに夢中だったのだろう。打球の行方などまったく気にすることもなく、思いのままに。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
遊び半分とはいえ、1300球以上もボールを打つ、というのはすごい熱中ぶりです。
「ボールが自動で次々とティーアップされる様がおかしくて」とは書いてありますが、ボールをクラブで打つゴルフ自体の楽しさもあったのでしょう。
1300球ということは数千円分はボールを打っているはずですので、それを見守る父親の姿勢も素晴らしいですね。
松山英樹選手の幼少期③【初ラウンドでのまぐれショットが原体験】
実際のゴルフ場で初めてプレーしたのは、小学一年生のときだった。 今でも忘れられないショットがある。当時はドライバーで100ヤード飛べばいい方で、どう考えても谷は越えられない。自分でもそれはわかっていた。とりあえず一発打ってペナルティを加えて、次は前の方から打つことになるだろうと思っていた。でも、僕は「越えたい」と思って力のかぎりクラブを振った。飛び出したボールは谷底の池に落ちると思っていたら、ティーイングエリアとフェアウェイを結ぶ橋の上で「カン、カン!」と何回かはねて前に進み、向こう側に到達した。僕も父も目をまるくして笑った。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
子どもには、まぐれでもなんでも「できた!」という体験が必要です。
それによって「自分にはできる」という自己肯定感や有能感が高まり、また次の行動のモチベーションになるとスポーツ心理学では言われています。
松山選手が「今でも忘れられない」と言うくらい、その時のショットは、松山選手のその後のモチベーションに強く結びついています。
親としては、小さなことでも子どもの「できた!」をできるだけ多く見つけ、認めてあげることが大事です。
松山英樹選手の幼少期④【マネをするのが得意だった】
小学校2年生になると、僕はより真剣にゴルフと向き合うようになった。平日は、小学校から帰って相変わらず自宅で素振りとパター練習ばかりしていた。AONや丸山さんPGAツアーの選手の打ち方を真似て、パッティングの時に「これを決めれば優勝です。」「入れました!松山選手、勝ちました!」と口にしながら、トーナメントで自分が活躍する姿を想像していた。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
幼少期にマネが得意だったと語られるアスリートは少なくありません。
スポーツ心理学でも、運動技能を上達させる上で、「マネ」はとても重要な要素の一つです。
「マネ」をするにはミラーニューロンと呼ばれる脳内の神経細胞の働きが重要と言われています。
ミラーニューロンとは、他人の行動を観察しているだけで、自分もその行動を追体験しようとする「鏡のような働き」を持ちます。
選手のプレーを観察しているだけで、本人は身体を動かしていなくても、脳内では選手の動きと同じように身体が動いているかのようなの神経伝達が働き、運動技能が向上するのです。
たくさんの遊びやスポーツを通して、「多様な動き」を獲得していれば、このミラーニューロンがより効果的に働くと考えられています。
松山英樹選手の幼少期⑤【親の献身的な環境整備があった】
当時、住んでいた松山市内の二階建ての実家にあった六畳の部屋には、素振りやパッティング練習ができるようにマットが敷きつめられていた。ボールをカップに寄せるためのアプローチショットは廊下から練習した。
幼稚園や小学生時代、周りの子供と比べ、決して体の大きくなかった僕にとっては充分なスペースだった。素振りができる部屋には全身を映す鏡があり、父と子で一緒にそれを見ながらスイング作りをした。
外の乗用車一台分の駐車場にはネットが張られ、実際にそこでショットが打てるようになった。そんな自宅の練習場でどれだけクラブを振り、ボールを転がし、時間を過ごしてきたことだろう。
父は大人用のアイアンシャフトを切断し、僕のクラブを作ってくれた。市内のゴルフショップに頼むのではなく、自宅で古いグリップを抜いたり、新しいものを装着したりしてくれたのをよく覚えている。僕が今、クラブをいじるのが好きなのも、あの頃の記憶が影響しているのかもしれない。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
子育てに焦点を当ててみると、松山選手が真剣にゴルフに向き合える環境を、全力で整えていることがわかります。
これも他のアスリートの親に共通してみられる特徴の一つです。
松山家では、ゴルフの練習が一通り自宅でできるように”改造”してしまっているのが特徴です。
それからクラブも父親が改造してカスタマイズ。
「無いものを嘆くのではなく、無いものは作る」ことで、子どもが集中的に練習できる環境を整えることを、親としては考えたいものです。
松山英樹選手の幼少期⑥【世界を知る経験をしていた】
2002年11月のある日。僕はいつものように父の運転する自動車の助手席に座っていた。けれど、向かったのは近所の奥道後ゴルフクラブでも、北条カントリー倶楽部でもない。松山市内から2時間、西に向かった車は岬でフェリーに乗船した。豊後水道を渡り、九州の大分県の港に着くと、再び車に乗って3時間南下した。その日、僕は人生で初めてプロゴルフの試合を観戦した。その年のフィールドの目玉は、タイガー・ウッズに他ならなかった。僕は幼い頃に、日本のプロゴルファーに憧れた一方で、タイガーを”神様”に見立てる世代の一人だ。小学5年生、10歳だった僕はトレードマークの赤いシャツと黒いパンツに身を包んだ最終日のスーパースターを大観衆の中の一人として追いかけた。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
幼少期に、特定のスポーツの世界レベルがどのようなものか、肌で感じる機会を持つことができたアスリートは多いです。
やはり、特定のスポーツを極めていくにあたって、その最高峰のレベルがどの程度であるかを知ることは、自身の現在地点とのギャップを知ることになり、とても有益です。
トップのレベルとのギャップを知らずに努力をしていても、暗闇の中をもがきながら進んでいるようなものです。
目指すべきレベルがはっきりすると、やるべきことは自然と見えてくるものです。
松山家のように、世界レベルを肌で感じられる機会を、親が子供に作ってあげられたらステキですね。
松山英樹選手の幼少期の特徴【まとめ】
振り返ると父は様々な形でゴルフを経験させてくれた。自宅の部屋や駐車場を練習場に改造し、僕はとにかく素振りをベースにしてスイング作りに励んだ。 屋外で練習できる機会は、全国のジュニアゴルファーより少なかったかもしれないが、父は”むやみやたらに打つこと”を絶対に許さなかった。外でショット練習をした時は、その様子を家庭用のビデオカメラで撮影し、帰ってから一緒に映像を眺めて復習した。 朝早く会社に向かい、昼間の練習にもつきあって、夜遅くまで仕事に励んでいた。いったい、いつ眠っていたのか不思議なくらいだった。 ボールを打つことへの指導だけでなく、青木功さんや中嶋常幸さん、尾崎将司さんやタイガー・ウッズの姿を、小学生のうちに生で見る機会も与えてくれた。 また、自らも競技ゴルフに打ち込むことで、僕は父のキャディーとしてアマチュアの大会に参加することがあった。
正直に言えば、父のゴルフの指導はスパルタと言えた。時には、今の時代にそぐわないであろう教えもあったかもしれない。但し父は僕のスコアカードだけを見て、怒ることは絶対になかった。必ずプレーの内容を見て、厳しく諭された。
「彼方への挑戦」松山英樹 著より抜粋
いかがでしたでしょうか。
幼少期から父親との二人三脚で頑張ってきた結果だとわかると、親としては涙が出ますね。
お子さんの子育ての参考になりそうな内容はありましたか?
他のトップアスリートにも共通してみられる子育ての特徴について、こちらのページもぜひ参考にしてみてください。
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